2025年8月31日 14:31
昨日の鼻は、寝るまで続いたが、意外に早く寝付けた。今朝も少し出たけど、今は止まっている。良かった。朝は、8時台に起きられて、味噌汁、ブルーベリーヨーグルト、ゆで卵の朝食をとり、2回洗濯してから、家を出た。
目次
- 異常な鼻の原因
- MOSの勉強完了
- 不運な日?
- “多動脳”っぽい性質
- 買うこと
異常な鼻の原因
異常な鼻水、なにが原因だったのだろう。オモコロチャンネルをダラダラ観続けて、自律神経がおかしくなったのか?なんて、これは冗談として、どなたかの記事で見たのだけど、この時期、冷たい床にべったり座り続けるのは、東洋医学的に、あまりよろしくないらしい。私は昨日まさに床にべったり、ぺたんこの座布団の上から座っていたので、体が冷えて腰が痛くなる感じがあった。それが自律神経に影響したのかなと思ったりする。今日も少し腰が痛いことに気づく。これからはソファにちゃんと座らないとな。
MOSの勉強完了
朝のうちにネットカフェに行って、MOS Excel Expertの勉強を「完了」した。いつもは人自体あまりいない、いつ潰れてもおかしくない店舗なのだが、今日は結構人がいる感じで、少し治安の悪さを感じた。3回分の模擬試験が残っていたのだけど、2回だけやってそそくさと出た。もうあそこに行くことはないと思う。ちょっとホッとする。仕方がないから通っていたけど、あそこのことを私はそんなに好きではない。試験に落ちなければ私たちの関係は終わりよ。試験はきっと受かると思う。
不運な日?
今はいつものカフェにいる。サンドイッチと抹茶ラテ。えびとサーモンとトマトのチャバタサンドイッチは温めてくれて美味しかった。抹茶ラテはなぜか飲む時にはもう冷めていた。サンドイッチ食べてる間に冷めたのかなー、残念だ。今日は姉さんのラテアートも冴えなかったね。
そして、目の前のお母さんらしき人が明らかに暇そうで気になる。子供と夫らしき人はそれぞれPCを夢中でやっていて(子供は勉強しているようだ)、お母さんらしき人は頬杖をつきながらスマホで動画らしきものをぼうっと眺めている。お母さん、暇そうだなあ、なにかすればいいのになあ、本読むとかさ、眠いなら寝たらいいし、PCやったりさ、PC買わないのかなー、PCなくても、スマホでブログとかしたらいいのに、と気になってしまう。そんなに暇なら帰ればいいのにと思うけど、3人で行動するのが基本なんだろう。車だろうし。今日は、ネットカフェと言いカフェと言い、若干、ハズレを引いている気がする。noteいつ書き終わるかわからんけど、早めに帰ろー、それか前の家族、早く居なくなってくれー。性格的に気になるのよー。(今さっき、いなくなってくれたー。ほっ。)
ふと思い立って、ドトールカードのサイトのマイページを確認すると、ドトールまたはエクセルシオールカフェで9月15日までに●●円分使うと、ステージが上がり、10月からポイントの付与のパーセンテージが変わるとのこと。「よし、使おう」と思う。一人でも目標額に行けそうだけど、職場のMさんを誘って行ってこよう。いつも株主優待やポイントで奢ってもらってるし、恩返しだ。まんまとドトールの戦略に引っかかっている気もするが、まあいいじゃない。
Excelの勉強をしていて、PMT関数を覚えたので、いつまでに貯めたい目標があったら毎月いくら貯金すればよいかを調べられるようになった。今日、試しにやってみた。本当はボーナスとかもあるから、そのままは適用できないけど、その辺もこちょこちょやって、目標までに大体どれくらい貯金すればいいか分かったから、これから少しは気にしながら生活できると思う。よいことだ。これだけでもエキスパートを勉強した甲斐があったと思う。
“多動脳”っぽい性質
最近、友人と長く続かないことについて考えていた。長く続いている友人もいるから、これは厳密には正しくないんだけど、”多動脳”の影響かなーと『多動脳』アンデシュ・ハンセン を読んだ後、今思う。長くいると、なんとなく環境を変えたくなってしまう。根本的に飽き性なのだろう。環境が変わると、自然と友人とも離れていく。そういうタイプなのかもなと思う。弟もしょっちゅう職を変えているようだし、そう言うもんかなと思えるようになった。地元に長くいたくなくて、大学で県外に出て、今も県外にいるのも。そもそも性格上そうなのかもしれない。そう思うと、別に悪いことじゃないように思う。
推しにハマりにくいのも、その影響かもしれない。今はダ・ヴィンチ・恐山を好きでいるけど、ハマりすぎて「課金、課金」というほどでもない。お金を使ったのは、本を2冊買ったのと、ウェブ上のイベントに参加したくらい。ARuFaとのラジオも聴いていない。思えば約5年前はBTSに夢中だったし、その後BIGBANGの動画を見漁った時期もあったけど、今はさほどではない。嫌いになったわけでなく、今も好きだけれども。その頃も課金ばかりしている状態からは程遠かった。BTSを扱った映画は少し観たくらい。それでも映画の特典のグッズのようなものはそんなに必要と思えず、メルカリで売ったりしていた。グッズが好きな人の手に渡ればそれでいいと思う。目まぐるしい活動量に忙殺されているアイドルを映画で観て、かなり驚いてしまった経験も。
買うこと
そもそも「買うこと」にあまり興味がない。人の手が加わり、温かみや物語のある、まるで手工芸品のようなものにはぜひ、私でよければ、お金を使いたいけれど、大量生産のものには興味がなく、正直あまり価値もないと思っている。この前ポーターのリュックに興味がムクムクと湧いて止まらなくなったのも、そういう理由がある。もちろん、食べるものは普通にスーパーで買う。ここでは服とか日用品のことを書いている。
職場に来ていく服など必要なものは最低限買うけれど、上記の通り価値があまりないと思っているので、「お金だけ失った」ような寂しさがある。もちろん買ったものは大事に使う。結構ボロボロになるまで使うので、多分友人からは貧乏性と思われているはずだ。事実だし。洗ったり、直したりもする。直すと少しだけ手が加わるから、好きレベルが上がるかもしれない。昨日も壊れたポーチを直したわ。最近ポーチやバッグを色々直している。
最近は、「靴」について、買うのが当たり前だけど、作れないものかと少し調べていて、そういうキットもあるにはあるみたいだと分かった。それから、手持ちの裁縫本にレシピがあったので、まずは、室内で履くスリッパから作ってみるのも面白いかもなー、と思ったりしていた。父のサイズの良いスリッパが見つからないと母が嘆いていることも理由にある。
スニーカーって必ず悪くなるし汚れる。汚れたら洗うけれども、限界がある。そうすると買い替えるしかなくて、その繰り返しがまるで”大量消費社会”を象徴しているようだと思っていて、この頃、気になっている。私はこれまでどれだけの数のスニーカーを買い、履き潰してきたのだろう。友人に「靴を作りたい」と言うと、「なんでそんなに買いたくないの?」と言われた。「その感覚は共通するものじゃないのだ。私はなぜか、作りたい人種に生まれたから、作って、仕組みを理解して、直しながら、捨てずに生きていきたいんだ。それって普通ではないんだ」と分かった。解体したり、作ったりして、モノの仕組みをわかりたいっていう感覚は、みんな多かれ少なかれそうだと思っていたのだった。
服や靴を買いたくない理由は、こんなところにもある。私は体が普通の日本人女子よりも大きいので、服・靴が、必ずしも気に入って買うと言うより、「入るから、丈が足りるから」買うということが多い。昔からそうだから、買い物に幸せを見出すことがそもそも「普通サイズ」の人よりもだいぶ少ないのかもしれない。最近分かったけど、バッグも、普通サイズ向けに作られているから、大きいサイズの私には持ってみると小さくて不恰好だったりする。帽子は以前に気づいたけど、バッグ、お前もか。靴下も、タイツ、ストッキングもだ。可愛い靴下やタイツ、履きたいけど、可愛いのはサイズが小さくて、すぐ穴が空いてしまうから、めっきり買わなくなった。男性用のいい感じの靴下を買って少しだけ楽しんでいる。本当はフリルとか、パフスリーブ、レースとか大好きなのに、そう言うものと無縁に生きてきた。可愛いものに対し、永久に片想いなのである。私が好きなものを買えるのはハンカチと財布くらい。可哀想。それか、オランダとかアメリカとかに移り住むかね。
だから、服を作るのが好きなのだろう。結構長く続く趣味になっているのだから、まあ、良いと思うことにするのである。それから、そんな私に可愛い服を作ってくれた祖母二人には、心からありがとう、と思っている。
そんな記事を前に書いたからリンクしておこう。
※一旦公開を取り下げていたので、この機会に、少し直して再度公開した。
あまり受けなかったけど、自分の中ではかなり真剣に買いた記事。そういう記事が結構ある。前にフランス料理についての映画を観た時に書いた記事も私の中では超大作だったが、受けなかった。「大作」は往々にして受けない。そう言うもんだと思う。文章がうまいわけでもないのに、長いのって、ある意味、苦痛を提供しているようなものだよね(笑)。私は、基本的に長い記事が好きだけれども、それでも疲れて受け付けないような時もあるから分かる。しかし、基本、長い記事は、その人の生き様がよくわかるような気がして、好きなのですよね。どうしても、長く書けば書くほど、その人そのものが徐々に徐々に滲み出て来てしまう感じが…好きです。記事は長ければ長いほど嬉しい。
それでは、残暑厳しいですが、熱中症になりませんように。
できるだけ無理せず、ゆるゆる過ごしてください!



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