下書き供養:転職について

Diary

2025年10月25日 08:27

今朝は、またもや、曇っている。いつでも小雨を降らせそうな天気が、平気な顔をしている。
例年9月に停滞する秋雨前線が、今滞在しているのではとは母の弁。10月ってかつては運動会の時期で、秋晴れが多い季節だった。
今日は、歯医者に行った後、無印に行こうかと。日用品を多めに買う。その後、勉強しようかと思っている。
下書きが出てきたので、供養。

目次

  1. 4月6日の下書き供養
  2. Iさんが転職すると聞く
  3. 転職について

4月6日の下書き供養

Iさんが転職すると聞く

今日はIさんとYさんと一緒に昼食を食べ、Iさんはついに「転職をする」旨報告してくれた。このことはYさんにこっそり聞いていて、もう分かっていたんだけど、それでも全然悲しくて、「ダメです!」と冗談で答えた。でも冗談ではなかったのかもしれない。その後ずっと悲しかったので。

Iさんには感謝している。そう伝えなくてはいけなかったのに、と思う。ただ嫌がってしまった。ほんと、私は子どもだな。6月半ばまで勤務するそうだ。もう3ヶ月ないのか。まったく、寂しいな。

転職について

私も転職しようかなとぼんやり思う。Iさんがいない職場は正直考えられない。島の仕事は回るんかな、と思う。回らないよな。

でも別に会社に不満ないんだよな、と思う。強いて言えば給料がもっと良ければいいんだけど、それも仕事が楽だからだしな。ちょうど釣り合ってるよなと思う。IさんやYさんは、一生懸命やってるのに評価が伴わないところが嫌とのことだけど、私はむしろあまり難しいことをしていないのに逆にできてると思われている気がしている。元来ぼやっとしているのと自己評価が低いのと、周りからはしっかりしているように思われやすいので、なんかその辺、もやがかかっているというか、自分で自分を正当に評価できないところがある。自分の「値段」がわからない。IさんやYさんは明らかに自分たちは「できる」「やっている」って思っている。だから処遇に不満も持てるんだろうけど、私は大前提そこが分からないので、処遇が良いのか悪いのかもわからない。最近は、会社員として働く力がないと思うようになった。そういう種類の人間じゃないんだな、と思うようになった。

前職も給料や処遇で選んでなくて、受かったところで安定してそう、楽しそうなところに入ったのだった。不満があってやめたわけじゃなくて、病気で致し方なくやめた。みんな好きで転職するわけじゃないけど、私は本当にしかたなしだった。転職する人たちは、みんなもっとしっかりしてるんだろうな、と思う。こんなにぼやっとした仕事観でやってないだろう。給料のことや評価のことをもっとシビアに考えるのだろう。

今日も副部長との面談で「正社員になりたいとかあるの?」と聞かれて、「正社員になったら仕事が難しそうだから、私にはできなさそうで悩んでいる」と答えた。情けないけど、それが本音である。給料が上がるのはいいなあと思うけど、ただその一点だけだ。もっとお金にシビアだったら、正社員に飛びつくものなのかな。お金があればこんな生活ができるのに、とか思ったことがない。本当に、お金があってもあまり何をしたいとかがない。これ以上の生活を知らないからなのかな。年少期から節約家の中流家庭だから。元夫の家はもう少し裕福な感じだったが、彼らは、「物」の買い物にしか興味がなく、家には物が溢れていて、虚しいなと思っていた。お金があってもこうなるだけならば、節約家の自分の家の生活の方がシンプルで、よっぽどよいと思った。

今、地方に住んでいるけど、クルマのない生活をしている。なので、実は、地方では皆共通の「クルマにかかるお金」が浮いている。これは結構大きいと思う。電車も基本、定期の範囲で賄えるし、バスは手帳で半額だ。かつかつだけど、今が良ければとりあえすいいんじゃないの?と思っている。未来のことを考えるほど、私は用意周到ではない。

仕事観、お金観ってどうして養うものだったんだろう。どうも、私には養われてない。働かないで生きていけるなら、そうしたいと思っている。

(追記)
I係長がやめることで、私も転職ムードになった頃の日記。今は、来年公務員を受けようかと思っている。理由はひとつに、公務員は住居手当が出るはずなので、ついに自立できるのでは、と考えているからだ。今でも、自分の働きぶりと給与が見合っているのかどうかはわからない。どうすればわかるのかも、わからない。経済的に自立したいという気持ちだけは、自分の心の中のことなので、確信がある。

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