2025年10月13日 12:57
ほんの少しの時間寝かせた、下書き供養。
人間関係について考えてばかりいる。
なにかしらの区切りの季節を迎えているのかもしれない。
10月11日土曜日。
脳内会議で翌日の友人とのお出かけには「行きたくない」という結論が出た。「我を出す」のが苦手な私だけど、今回は体調の面からも、感情の面からも、どちらからもゴーが出なかった。無理なものは無理だ、しかたない。正直な理由を伝えたわけでないが、なんにせよ断ることができて良かった。
友人とのこと
友人とは今後、ちょっと距離を取らないと、自分の心の耐久性として無理かもな、と思ったりしている。接するたび、ストレスが強いのだ。理由は、自分の状況と、友人のそれの乖離がすごいこと。私が不幸に感じている、まさにそのポイントで、友人は今、大いに幸福であり、それが私を無闇矢鱈に刺激するのだが、友人は気づいていない。
友人のせいでも自分のせいでもない。ただ、仕方がないと思う。鈍い人は平気だろうけど、私はそうではないから、無理なのだと思う。鈍かったら良かったのか?それはもう、どうしようもない。鈍ければいいというものでもない。
病気を経て変わった人間関係
「私は、人間嫌いなのか?」と思うけど、そもそも私は人間好きじゃないと思う。付き合い上、仕方なく付き合うことが「できる」だけの人間だ。付き合い上、付き合う。人間ってそういうものですよね、きっと。私があまり湿度や温かみのない人間だというのは、自覚している。カッコつけて言うなら、ドライなのだ。悪く言えば、冷たいと思う。
2度目の病気になって、ますます、「無理な人」とは付き合わないというスタンスが固まった。ただ、学校が一緒だっただけの人。部活が一緒だっただけの人。仕事が一緒だっただけの人。付き合わなくてはいけなかったから付き合っていた。「無理な人」は誰にでもいる。
無理な人と、大切にしたい人
私を利用、消費する人、私にとっては消費される人、消耗する人は「無理な人」だ。付き合いたくない。ただでさえ疲れやすい体だから、大切にしたい。
私のペースを分かってくれ、尊重してくれる人。向こうもマイペース、こちらもマイペースなのに、ムードが合う人。私を理解している人。元気を与え合える人。大袈裟だけど、インスピレーションを与えてくれる人。くだらないことで笑い合える人。私を消費しない人。そして、できれば自分で何かを作っている人がいいな(ただし、そういう人はほんとうに稀)。そういう人は、多くないけど、少しいる。大切にしたいと思っている。
揺れている
人間関係は、影響を与え、与えられる作用だ。例え、声や体が触れてなくても、存在、人生自体が共鳴し合い、生き方に大きな影響を与え合うと思っている。ハン・ガン『ギリシア語の時間』國分功一郎『中動態の世界』映画『バタフライ・エフェクト』などが教えてくれた。いい影響も悪い影響も、本質的にはない。人生万事塞翁が馬だから…。
ただ、静かに私たちは揺れている。やがてそれが、大きな波になり、それぞれの人生を変えてゆく。
秋バラとネックレス
ふと思い立ち、電車に乗ってバラに再会してきた。春に行って以来、半年ぶり。公園に入った途端、バラの香りがすごくした。バラ園の方で、天然のバラ水ができているみたいな空気の感じだったのだ。ただ、残念なことに、バラはほぼ全部、湿気にやられて花びらの縁が茶色くなってしまっていた。
最近、湿気てたよね、分かるよ、私も体が辛かったもん。元気になったかな?というタイミングで、また来るわ。
先日、木工のネックレスを買った。駅でクラフト・フェアをしていたのでふらりと立ち寄ったら出合った。手作りの、木を掘って作ったサークル型のペンダントヘッド。素朴なおじさんが店番をしていたが、家族で営んでいると言う。お父さんが木工をしていたことかららしい。工房は私の地元の方面にある。ただ、チーク材だから、原料自体は東南アジアのほうから来たのかな?とも。手で作ったものには価値があると思っている。素朴さ、少しのゆがみ、ムラのある色合いが愛らしいと思う。
紐が気に入らなかったから、前に手芸屋で買った革紐に取り替えて、良くなった。母ともシェアしよう。今日はこれを着けて出かけた。これからも一緒に出かけよう。
残った革紐とシルバービーズで、ブレスレットを作りたい。今後要検討!


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