元気について考える

Diary

2025年8月31日 21:11

なんだか筆がのってきてしまい、本日二度目の投稿。

noteのアルゴリズム/気まぐれで私のアップした写真がすごく上の方に表示されていて、目立つのでたくさんの人の記事に使ってもらえているようだ。使っていただいている方にはありがとうと伝えたい。祖母の家の階段のところに咲いていた百日草。バスに乗る前に急いで撮った。何気ない花だけど、色がとにかく明るく、夏っぽいですね。

読みたい本が少しずつ溜まってきたので、さっきリスト化した。最近の私は、貯金計画を立てたり、家計簿をつけたり、読みたい本リストを作ったり、自分の普段と比べ、なんだかせかせかとしている。今も本日二つ目の記事を書いているし。

もうすぐエクセルの勉強がひと段落する予定なので、自然と「次を見据えている」段階なのかもしれない。秋っぽく空気が乾燥してきたし、季節の変わり目で鼻も出るし(鼻の話ばかりすみません、アレルギー体質なので)、次の季節へのベクトルを定めている時期というのか。でも忙しくなりすぎるのは嫌。todoをdoneにしなくちゃ、予定通りにしなきゃと思うのも、自由がなくて苦手。やっぱり”多動脳”の持ち主のよう。

そういえば、Mと旅行中、「行動が制限され、自由が減るので、旅行先で安くなりそうだからという理由だけで一日乗車券を買う(かどうか検討する)」のはあまり好きじゃないと言う話で共感し合った。私たちは、自由が効かないのが嫌いなのだ。数百円の差で行動の自由が制限されるのが嫌だ。予定通りいかないことも、往々にしてあるし、気分も変わるから。

前述したが、お盆に高校時代の友人Mと旅行に二度も行った。友人と旅行するのはとても久々だった。最近それで思ったのは、ようやく、5年前の発病から、徐々に少しずつ元気になって、ここまで来たということかもしれないと言うことだ。5年、長くかかった。そして、まだ回復の途中だと思う。

一度くらいは友人と旅行に行ったり、悪天候で中止になったが、温泉旅行計画を立てたりしたけど、もっぱら旅行は母親と近場に行っていた。最近大学時代の友人Tとお土産を送りあって(レターパックライトで!)、LINEをしていると、友人は韓国がようやく好きになってきた様子で、いつか一緒に韓国に行こう、と話し合った。こんなことも最近はずっとなかった。この韓国行きは本当に実施されるのか、計画倒れになるかは今のところわからないけど、それでも少し前向きになった自分に気づいた。

思えば本調子でない時代が長かった。心理士からは5年前の心理面接の初期、「21歳の時から病気だったから、今まで元気がなかったのだと思うから、今の状態よりも、これからもっと元気になれると思いますよ」と言われて、今まで大学卒業、就職、結婚、出産、育児と過ごして来て、元気がなかったということ?!と驚いた。でも思えばこんなことがあった。新卒で入った職場で、私は簿記3級の勉強をさせてもらい、試験を受けたのだけど、当時の私にはさっぱりわからない内容で、受からなかったのだ。(最近勉強し直して、受験し、受かった。それで10年越しに、比較的に簡単な試験なのだと分かった。)授業中もしょっちゅう寝ていた記憶があり、今思うと不思議だ。授業中ということは、就業時間中なのだから、寝てちゃダメなはずなのに。寝ていた記憶ばかり。だから、きっと、あの頃は元気じゃなかったのだと思った。多分、病気の後遺症だったのだと思う。就職の時期も、全然元気じゃなかった。人生の中でも、大事な時期だったのに。しかし、後悔先に立たず。それに後悔したって、病気だったのだから仕方がないと思う。

結婚、出産、育児のあたりは私は人生で一番活動的で元気だった時期だから、心理士の言葉を全部真に受けるつもりはないけれど、当時、友人に相談したら、「もっと元気な状態があるということ自体はワクワクすることじゃない?」と言われた。確かにそうだ。

私の元気のイメージ。以前にイベントでマーマーマガジンのブースに行った時、店番のお姉さんが今まで出会った人の中で一番エネルギーを発していると思った。眉毛がふさふさしていて、目がきらきらしていた。そしてせかせかしておらず、ゆったりとしていた。私は毛が多いが細いタイプで、眉毛の印象は薄い方だと思うけど、あの人の眉毛は濃く、存在感があった。それがまるで植物のようで、生命力を感じた。ああいうのが元気な状態なのかもしれない。

エネルギーを発しているのはどういうことなのだろう。なにか、「気」のめぐりようなものが良くなっている状態なのか。私は最近サボり中だけど、1月からジムに行っているので、少しは健康体になってきて、「気」のめぐりが良くなってきたから、Mは旅行に誘ってくれたのだろうか。12月に会った時にもその話は出たけど、行くことにはならなかったので、その差かなと考えたりしていた。あるいは、今回単にMの気分が良かっただけかもしれない。後者の可能性高い。
それ一点じゃなく、前述のように病気から時間が経過して、「ひにちぐすり」で少しずつ良くなって来たというのもある。

話が戻るが、体を動かすのはエネルギーのためにいいように思う。『多動脳』にも体を動かすことで心(脳)に良い影響があるとあった。村上春樹の作品は特段好きなわけではないけど、村上春樹のように頭脳労働している人は、運動を意識して行っているイメージがある。アウトプットのためにいいのだと本にもあった。私の好きな前の職場の先生も本を書く人で、それをとても好きで、生業としているようなところがあったのだけど、夜になると走っていた。『多動脳』には、特に朝走った方がいいとあった。運動後はパフォーマンスが一時的にも(長期的にも)上がるのだそうだ。
だから、職場まで歩く習慣はまた復活させたいと思う。もう少し涼しくなったら再開しよう。ジムも9月はまた通おう。

エネルギーの話はぼんやりしていて、よくわからないし難しい。ともすれば、スピリチュアル寄りになってしまいがちだし、扱いづらい。友人の一人も、わざと「米」の方の「気」の字を使ったりしているが、本当によくわからないと思っている。友人には、好きな字を使ってくれれば良い。

「米」の話ではないけれど、食べるものはどれくらい気持ちに影響しているのだろう。かなりの影響があるのではないか。
良い気持ちでいるということは、脳の状態が良いということなのだろうか。心はどこにあるのだろう。きっと脳にあるんだろうけど、今、脳ばかりでなく、「腸と脳が繋がっている」また、足は第二の心臓なんて言ったりする。体が寒いと、心が寒い感じがしたり、口角をあげると元気が出たり。そういう感覚のある私の考えでは、体全体が心のような気がするから、体が整うことはとても大事だと改めて気づいた。

これから、もっと色々なものを作っていきたい。文章も書いていきたいし、裁縫・手芸の作品も作っていきたい。ビーズ刺繍にも挑戦したいと思っているし、手作りスリッパやサンダルも。そのためには良いインプットもしたい。”多動脳”を活かして、良く生きていきたい。だから、できるだけ元気でいられるように、つとめようと思う。

とりあえず、今日は寝ます。おやすみなさい。

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