拗らせてるかもしれないけど、まあ元気です

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2025年10月25日 17:19

曇天の中、50分歩いて、歯医者へ行ってきた。今日で、全部の虫歯の治療が終わった。次に無印良品で化粧水を多めに買って、カフェでお茶と勉強後、帰宅した。昼食は買ってきたネギトロ巻きと、サーモンの刺身。Youtubeでオモコロチャンネルを少し観た後、今はクラシックを聴きながら、埋もれていた下書きを掘り出した。今年7月20日の下書き供養。

SNSと私の歴史

5年前に病気が再発し、離婚した。その前後に色々あり、SNSはやめた。と言っても、やめたのは、Facebookとツイッターだけだった。元々、インスタグラムはやってなかった。そういえば、アメーバブログをやっていたけど、それだけなぜか消さなかった。Facebookをやめたのは、仕方なかったにせよ、ちょっと後悔している。

その頃、スマホは持っていなかった。私がスマホを持ったのは、今からたったの3年半前から。それまでガラケーで通していた。だからLINEはやっていなかった。
元夫がスマホを持っていたから、私は要らないと思っていた。実際に、無くても困らなかった。変わり者扱いされたのでは?と思われるかもしれないけけど、別に浮いていなかったと思う。勤めていた職場には、変わった人が多かった。当時、スマホに手を出さず、ガラケーを使い続けていた人は、私の他にも稀に居た。友人にも数人いた。今も、うちの母はそうだし、存在はしているだろうと思う。

当時、PCでやっていたFacebookは既に下火で、私たち全盛の世代が離れていくフェーズに入るのと同時に、私の父の世代が熱心にやり始めた。それに従い、私たちの世代には、それはますます魅力的なSNSではなくなっていた。今はどうか、全然わからない。

病気による妄想で、「監視されている」という感覚を持った私には、Facebookは大変な脅威で、パニックになって慌ててやめてしまった。以前から、子どもの写真は載せないようにして、個人情報流出に注意して使ってはいたのだけど、妄想にとりつかれたときは、注意の対象ではなく、恐怖の対象となった。今思えば、Facebookは写真を出来事ごとに記録するには良かったので、消さなければ懐かしい写真も消えずに、残っていただろうに、残念に思う。

写真とブログ

懐かしい学生時代の写真は前のPCに入っていて、ディスプレイが壊れたときにPCごと処分してしまうという暴挙を経て、今やほとんど残っていない。私の大学時代は良かった。今、見返す写真がないから、ますます輝いていたように思う。過去が美化されている。

noteは5年前に、病気が落ち着いた頃、微妙な鬱状態の中、始めた。長く続いているものだ。私の意見では、Facebookが衰退したように、もっと昔、mixiが衰退したように、noteもいつか衰退するだろう。今すぐではなく、いつか。自分のウェブサイトを持っていれば、いつか衰退する媒体にたくさんの文章を残すようなことはしないのだけど、自分のウェブサイトを作るのは大変そうだ。自分にはできないだろう。実は、子どもが小さい時にHTMLとCSSを勉強する講習を受けた。それは、民間がやっていた「ママ向けリスキリング」の講習で、当時ニュースにも取り上げられていた。それで、結構なお金を払ったのだけど、唯一の成果として、実はいわゆるホームページを持っている。本当にショボいものだけれど、それをいじればブログを載せることもできる…のかなぁ。ただそのページの存在とURLは友人も知っているので、noteに書くような個人的な内容は載せられない。noteには、まさにその友人のこともちょいちょい書いている。

デジタルから離れる

今、デジタルからなるべく離れようと思っている。デジタルの刺激に疲れ、寝られなかったり、好きな裁縫もできず、本も読めないのが嫌だ。アプリを作った会社が意図して、長時間アプリを使うように仕向けている、その結果、私たちはランダムに来る通知などによりドーパミンが出ることにより、アプリから離れられなくなっている。この仕組みが分かってから、すっかり嫌になった。

カル・ニューポート『デジタル・ミニマリスト』を読んでいたら、「孤独」の効能が書かれていた。私はデジタル世界の刺激に疲れてしまった。前からそうだったし、そうなることは分かっていたから、ずっとガラケーを使っていたのだなと思い返す。その頃はもっと元気だったとも思う。裁縫をしていたし、料理をしていたし、そのほかの家事をしていたし、朝早く起きていたし、元気に子どもの面倒を見、仕事も行っていた。

今、スマホを約3年使ってみて、納得した。確かにスマホは疲れる。今朝も叔母からLINEで大量の旅行写真が送られてきて、辟易した。マウント、自慢なの?しかも私は肉を食べないのに、肉の写真を送ってくる。ただの迷惑。
多分マウントや自慢ではなく、単なる報告であり、ブログの代わりなのだろう。それなら、アメブロとか、noteをやってよ。写真をたくさん載せたいなら、インスタグラムでもいいよ。このとき、インスタグラムを勧めてみた。叔母はデジタル音痴だから、手取り足取り教えないと、やらないだろうなと、もう一度、辟易したのだった。

デジタルから離れようと思うと言いながら、noteを書いているのは大きな矛盾ではあるけど、最近はnoteからの通知を切っているので、だいぶ気分的には遠くなった。それに、文章を書くこと、noteに書くことは好きなのだと思う。だから、今のところ、noteから離れる予定はない。それに、『デジタル・ミニマリスト』によれば、「デジタル・ミニマリスト」は、全部のデジタル機器から離れることを示すのではなく、自分に必要なサービスを選び取ることに本質がある。

「拗らせないでね」への違和感

先日、デジタルから距離を取ると友人に伝えたところ、「大学の変な先生たちのような世捨て人にならないでね。拗らせないでね。」と言われた。「私なら、既に、拗らせてますよ〜」と答えた。笑って。けど、心では笑っていない。デジタルと離れることで、穏やかに暮らせるのだから、そして私は「変な」人たちのように周りを困らせたりせず、淡々と言われた仕事をしているんだから、よくないか?と思ったのだ。

友人は子どもを産んで、変わったなと思う。そして、現在進行形でどんどん変わっている。友人はこれから、「普通の人」として生きていくんだなと思う。私もかつては「普通の人」として生きていくつもりだったが、無理だった。元夫に捨てられた。もちろん主に、私が悪かったけれど。

そんなことがあったら、社会と距離も置きたくなる。人間全般が嫌いな訳ではない、と思う。友人も少ないけれど存在するし、職場の中にも好きな人はいる。でも、「普通の」社会に合わせてはもう生きていけない。一度、妄想状態を経験すると、すべてが頼りなく感じられる。悪い夢が現実になるような、自分自体の存在がひっくり返るような経験。自分の脳がコントロール外となり、妄想の世界では恐怖でしにそうになり、現実では、ざっくり言えば、転落。

友人は全てを持っている。理解ある家族、義両親、愛する子ども。彼/彼女と友人でいられるのが奇跡と思えるくらい、私と別の道を進んでいる。だからこそ、私の手を引いて「普通」の方へ連れていきたいのは分かるし、心配してくれるのもありがたい。私の調子が悪くなれば、友人にも迷惑がかかる、それのみで心配しているわけじゃないことも、友人のことを知っているから分かる。でも、私はもう、別の道をいくしかない。前を進む皆の真似をしながらは、生きてはいけない。それは、同じ経験をしないと、分からないだろう。

元気です

友人は私に「元気?」と聞く。「おや?」と思う。「心配されてる?」心配は、干渉と紙一重だと思う。
元気はある。穏やかで、よく寝られているし、転職熱も一旦抑えられて、仕事に静かに前向きに向き合っている。私から見ると元気すぎの友人や叔母と比べるとそこまでかもしれないけど、調子が良いとしか言いようがない。
実は、心配だった国際情勢も一旦、落ち着いた。それをニュースが毎日取り上げていた時は、心が萎んだり、ハラハラしていたけれど、今はそれも落ち着いている。
たとえ世捨て人と思われても、私はまあ元気だ。私の人生は私だけのものじゃないって、分かっているけど、できるだけ、好きにさせてもらいます。

(追記)
noteからの通知は今も切っている。通知をonにしないか、とnoteにはお勧めされているけど、無視している。この頃期待したほどには、デジタルからは離れられてないけど、だいぶ一時期よりは距離を取ることができている。寝る時も、スマホは寝床から離れたところに置いている。
今回、熟成した下書きを、加筆修正した。だいぶマイルドにしたつもりだけれど、それでもちょっととげとげしい。でもこれが、私の一面であると思う。私の生活・人生。人からとやかく言われたくない。私のことは私が選ぶ。人に迷惑はかけたくないけど、迷惑のかからない範囲で、好きにさせてもらうという決意の表明。

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