梅雨・母親との関係

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2025年6月8日 22:30

冒頭の写真、紫、緑の色がいまいちだったので、フィルタをかけてみた。真昼間に撮ると色が良くない。目に映る色より、黄色っぽく写るようだ。
横からの光の方が美しい写真になる。「写真を撮るなら、朝が一番良い」と大学時代の恩師が教えてくれた。
紫陽花が綺麗に咲いている。そして蒸す。今週梅雨入りかな。
梅雨にはいろんな理由で鬱っぽくなる人が多いらしい。私もそう言う感じがある。ご自愛、ご自愛でいかなくちゃ。

目次

  1. 豆乳ラテのラテアートに癒される
  2. 人に依存してしまう理由
  3. 母親との関係
  4. 自分を認めたい

豆乳ラテのラテアートに癒される

 エクセルシオールに相変わらず毎週通ってる。最近は豆乳ラテがとにかく美味しくて、よく頼む。ホットにするとラテアートをしてくれる。白地に茶色のラテアート。今日は四葉のクローバーにハートが飛んでる。前回はアヤメだった。どちらも控えめで可愛らしい。ついつい「可愛いですね!」と店員さんに声をかけてしまう。店員さんも嬉しそうで、なんかいい時間。

どちらも可愛すぎるでしょう。困るわ。私は最近気づいたのが、植物柄が好き、花柄とかね。

人に依存してしまう理由

今、書きたいことが多くて、悩む。カフェでnoteに書きたいことをノートに書き出してみたら、1ページがみっちみちに埋まってしまった。一番の理由は、I係長がやめること。係長は今週水曜まで出勤。そこから派生して、珍しく飲みに行ったりもしている。係長の辞職が私の感情に与えるインパクトが大きい。
これまで、係長へ依存をしていたのかもしれない。私は人に依存しやすいのかもしれない。元を辿れば、母親に依存できなかった経験がそうしているのかもしれない。母親は産後2ヶ月で働きに出て、私は母親に甘えることができずに育った。前々から疑っていたが、もしや、愛着障害グレーとか・・・?だから、ママっ子の気持ちは想像することしかできない。弁護士にも「産後2ヶ月で母親は働き始めたので、私はママっ子でない、ママっ子の気持ちは本当にはわからない」と話した。「(産後、働きに出るのが)早いですね!」と驚かれた。

人への依存について、ChatGPTに聞いたりしてAIカウンセリングのようなことをしていた。母親との関係からの影響についても聞く。なんだかしんどくて、一旦やめた。ここにも、少し書き出して終わりにしよう。

母親との関係

母親との関係が本当にいろんなところに影響している。影響は大きく、結婚相手の選び方もそうだし、もっと以前だったら恋人選びにも。I係長のように甘えられる人、自分を認めてくれる人に依存するのも同様のように思う。
母親は「認めてくれない、褒めてくれない、甘えさせてくれない」人だったし、現在もそうだ。人の気持ちがわからない上、怒りっぽくて、私はそれが怖かったし、回避するために気を回すようになった。ちなみに怒りっぽいのは家庭においてだけのように思われる。外では大人しいし、職場では「アットホームな雰囲気」と言われていたのを知っている。
当然甘えた経験は記憶の中ではゼロだ。社会から守ってくれたようにも思わない。私は自分で言うのもなんだけれど、子供時代にすでに社会の中で奮闘してきた。自然に社交性だけ身について、心は置いてきぼりにされた。私が本当は内気なのに社交性があるように見えるのは、そう育ってきたからだ。
言い過ぎでなければ、私の子供時代は、怒りっぽい母親の感情を受け止める皿だった、と思う。母親の機嫌取りだ。ただ、母親は働いていたので、常に一緒に過ごしたのではなかった。代わりに祖母が私を可愛がってくれた。だから、多少、ましなのだろう。祖母がいなかったらどうなっていたのだろう。
母親とは今一緒に住んでいる。感謝もあるし、私も母親なので、彼女の気持ちも多少わかる。でも、今も皿洗い、洗濯干し、掃除、いろいろな場面で不備を指摘され、子供時代を反復しているように思う。できれば物理的に距離を置けたらと思うが、「お母さんのこだわりを私に押し付けないで」「本当にうるさい」とか言えるようになったから、子供時代の私のように無力ではない。ただ、今も傷つく。母親が死ぬまで傷つけられるのだろう。母親のことは今は怖くない。でも好きではない。愛着もない。私は全くママっ子ではない。感謝だけしている。

自分を認めたい

母親に認められなかった。褒められなかった。だからか、いまだに自分でも自分を認めてあげられない。だから、自分では少なくとも自分を褒めてあげたい。十分頑張っているのだと。
これからも、傷つくことはあるだろう。母親との関係だけでなく、みんな誰かを傷つけ、だれかに傷つけられている。せめて自分だけは自分を責めないようにしよう。「とにかくこれであってる」と思いながら、少しずつ自分を認めながら、進んでいこう。「私は自分のことが好きだ。」いつか理由なく、はっきりそう思えるように、願いながら。

今日聴いた、藤井風の「まつり」の一節

苦しむことは何もない 肩落とすこた一切ない

「まつり」藤井風

そうだよね、風くん。
私も軽く軽くなろう。踊っていこう。

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