過去の私を思う

Diary

2024年10月19日 22:06

大学生のときの卒業旅行で屋久島に行った時の写真が出てきた。大学生の時はいろいろなところへ行った。ベトナム、カンボジア、タイ、イラン、中国(西安と蘭州、敦煌)、など。いろんなところ(安いアジアばっかりだけど)へ行ったのに、写真がとにかく残ってなくて、多分大学生の時のノートパソコンに入っていたんだけど、今はそのパソコン、どこに行ったか分からない。実家にもないらしい。離婚のゴタゴタで慌てて私でない人が引っ越しをしてくれたので、無くなってしまったのかもしれない。でもなくなる?パソコンが??や、でも結婚している時すでにあまりあった記憶がないから、やっぱり何かの時に処分してしまったのかな。でもどうやって処分したんだろう?やっぱり捨ててはいない気がする。それか今のPCに変えた時に引き取ってもらった・・・?ああ、壊れて買い換えたのかもしれない。うん。きっとそうだ。
大量の写真は、外付けのハードディスクに取っておかなきゃいけなかったのだ。それに、Facebookを続けておけば少しは残ってたのだ。

本当に残念。
まあ、そんなもんだよね。みんな。そう思わないとやってられない。

大学生の時はしょっちゅう海外に行って、私はやりたい放題だった。今はお金がないから海外なんてなかなか行けないんだけど、当時はその価値に本当には気付いていなかった。時間がいっぱいあったし、無鉄砲で、なにも怖くなかった。なんと愚かだったのだろう。世界がキラキラしていて、自分は何にでもなれると思っていた。若いって愚かだ。

とりあえず、大学生の時から使っていたデジタルカメラは残っているので、SDカードに少しは何かが残っているかも。2年半前まで使っていたガラケーにも多分miniSDカードがあるから、それらをPCと繋げるUSBコードを買ってみた。(用語が全部平成ですね・・・!)
まあ少しはそれで思い出が蘇るかと。私は記憶力がすごく弱くて、短期的には覚えられるようだけど長期的には全然ダメだ。病気の後遺症というより、昔からそうだと思う。エピソードは絶望的に覚えられない。久しぶりに古い友人と会って、あんなことあったねという話をしても覚えていないことが多い。日常生活において感情が乏しいのかもしれない。感情が動くと覚えられるって言うから。また、睡眠があまりできてなかったから記憶の定着が悪いんじゃないかと思うけど、それで写真も残ってないわけだから、本当に思い出や記憶が少ない。こう言う人は日記をつけなくちゃいけないんだと思う。それもできない私ってなんなんだ。うう。

でも皆が覚えていてくれるから、私のクラウドは友人達と言うわけだ。写真もみんなはちゃんと残していることだろう。こう考えてみた。写真を撮っておくこともできず、記憶も弱い私は「今を生きている」とも言えるのではないか?昔はしょっちゅう写真を撮っておくこともできなかったわけだから、昔の人と一緒だとも言える。
ま、格好よく言い過ぎか。調子良すぎるか。でもそう思わないと悲しくて。今日はお酒なんか飲んでないのに、酔っ払っているみたい。とても虚しくて、なにか記憶を今に手繰り寄せる方法はないかと考えている。

明日は免許更新。少しは良い写真が撮れるように早く寝ます。皆さんもどうか良い夢を見られますように。

※結局寝られず今まで起きています。
過去の写真はもう取り戻せませんが、今のパソコンに入っている写真は全て大容量のUSBに入れておくことにしました。今度はPCが壊れても大丈夫です。
過去のブログがネットの海に残っていて、懐かしい気持ちになりました。消さずにいて良かった。
私はたぶんリセット癖があり、自分を大事にしない傾向があるのかなと思います。だから写真もあまり撮らないし、ちゃんと取っておかず、PCも画面が壊れただけかもしれないのに下取りに出してしまったんだと思う。沢山のレポートのデータも消えてしまった。大学時代の本も皆大学の図書館に寄付しました。このことはまぁ、後悔はしてないけど…やっぱり、後悔してます。これからはもっと自分を大切にしようと今決めました。とりあえずUSBの購入はその第一歩です。

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