『ギリシャ語の時間』再読。

Diary

2025年4月6日 21:50

昨日は美容院に行った。一昨日、携帯にLifebearからのお知らせが出て、翌日が美容院だと気づいた。母と美術館へ行ってその後昼食を食べようと話していたのを、急遽キャンセルした。

目次

  1. 昨日は美容院へ行った
  2. 今日は朝から市役所、それからジム
  3. 帰ってからカフェ
  4. 『ギリシャ語の時間』再読

昨日は美容院へ行った

朝食を食べて、ゆっくりしてからバスで美容院に向かった。バス停から美容院まで5分くらい歩くが、ちょうど川沿いに桜が満開だった。美容院の前にも桜があり、シルバーに輝く独特の造りの美容院の壁に映って綺麗だった。

髪質改善という名の縮毛矯正・カラー、カットを行う。今日は何を話そう、この前はジムの話をしても全然盛り上がらなかったしなあと、最初いじけていたけど、結果、案外今回は話ができた。結果を踏まえて考えると、3、4歳年上の担当の美容師さんとは、シンプルに髪の話をするといい。それか美容師さんの前いた美容院の話とか、自分の仕事の話とか、仕事関連の話。22歳のアシスタントさんとは、その子の好きな話をずっと聞いているだけでいい。ちょっと突っ込んだことを聞いても大丈夫そうだ。髪を洗ってくれた子には、気持ちよかったです、と伝えるくらいでいい。これが今回導いた私の美容院のコミュニケーション方法。

今回、髪の話としては、希望の長さ、前髪作るか作らないか、色、どれくらい真っ直ぐにしたいかなど。それと、前回の髪で良かったこと、困ったこと。色は、「赤みのヘアはあまり似合わなかった、アッシュ系が似合うような感じがする」と話した。そうするとアッシュ系のピンクを勧められる。アッシュ系だから地毛に近くて似合うし、ほんの少しだけピンクっぽくするのおすすめですよ、最近気に入っているラテ系のカラーです、と。以前、BTSのJINがそういうピンク系の柔らかいラテ色にしていて、いいなあと思って別の美容院に写真を持って行ったけど、明るすぎて断られたことがあったから、ついに叶ったことになる。それに、ピンクって春っぽい。それから、前回真っ直ぐすぎて、頭の形の悪さが目立ったから、そこまでストレートきつくしてほしくないです、と伝えた。

担当さんにはちゃんと注文を伝えるのが大事で、それはよく考えたら当たり前のことだった。相手は髪をどうにかするプロだからだ。あとは別に喋らなくて良かったのだと分かった。第一忙しい人だから、そんなに長いこと一緒にいられない。相手もそんなに話すの大好きという感じじゃない。聞き上手という感じもあまりない。むしろ仕事人間で、仕事のことをいつも考えているような人だ。いつもおしゃれでショートヘアの似合う、小柄で細身の、活動的な雰囲気を持つ人だけど、実はそんなに社交的じゃないのかもという感じもしてきた。

つくづく思うのは、人のことって最初、あんまり分からないのよな…。後から後から、いろんなことが降ってきたり、湧いてきたりするように、判明していくんだよな。初対面から大体わかる人っているじゃないですか。私は多分あんまりわからない人。人に対して警戒心はあるんだけど、そこまで初対面センサーが敏感でない。「なんか嫌!」っていう人はいるけれども。人の複雑さに敬意を払っているのは、私にとってゆっくりとしか分からない難しい分野だから。22歳のアシスタントの子は、彼氏と花見をして、屋台で色々「映える」ものを買いたいとのことだった。屋台が大好きらしい。なんて可愛いんだ。「映える」ものを探したい一心なのだ。インスタ世代は大変だな、と思うと同時に、彼ら/彼女らは桜をきっと「映える」「エモい」って思ってるんだ、それは平安時代の「おかし」と変わらないのでは?すごく情緒豊かな人たちなのでは?っていう考えが実感として浮かんだ。アシスタントさんには教えてくれてありがとうという気持ちを伝えた。伝わったかな。

アシスタントさんとはとてもふわふわした会話をした気がするんだけど、私の体調があまり良くなくて、ちょうど花見みたいな、日常的な「なんか良い」についての感覚的な会話が合っていたようだ。そう言えば、最近体調が悪くて基本ふわふわしていて、鋭い感覚がなくて気分が落ち気味なのだけど、自分のコンディションの悪さに比例して、ランチに誘われることが増えてきた。なぜかわからないが、コンディションが悪い方が好かれる…?noteでも実は、元気いっぱいの記事より、テンション低めの記事の方が人気があるように思う。私としては、元気で鋭敏な感覚を持っていた方が仕事も調子がいいしありがたいのだけど、少し鈍いくらいの方が周囲にはちょうどよかったりするのかもしれない。

昨日は美容院から帰り、遅昼を食べたらもうお腹いっぱいで眠くなり、夕飯はスキップして早々に布団に入った。7時台だったと思う。その後眠って、起きたら朝3時ごろだった。もうすでにスッキリ起きれそうなくらいだったのだけど、流石にまだ早いので、電気を保安灯にしてnoteに記事を書いた。それで今朝は変な時間に記事をアップしたのである。その後もう一度、一時間ほど寝たと思う。

今日は朝から市役所、それからジム

朝から市役所に行くことにしていた。特別に休日開庁の日なのだ。雨の中向かう。1時間半待って、マイナンバーカードの4桁のパスコードの変更。待っている間二度目のハン・ガン『ギリシャ語の時間』の読書。3分の1くらい読むことができた。

そのままジムへ向かう。今朝変な時間に起きたから体調がイマイチかと思ったので、走るだけにしようかと思いながら向かったけど、到着してそんなに体調が変な感じがしなかったので、マシンもやる。空いてないところは無理に待たず、やめることに。マシン3種類やって、20分走る。最近は走る時、PerfumeとASIAN KUNG-HU GENERATIONをよく聴いている。少し前に気に入っていた曲は英語の歌詞に気になるところがあり、聴くのをすっぱりやめた。ちなみにゆっくりしたい時、副交感神経優位にしたいときは相変わらずリュートでのバッハの演奏を聴いている。疲れた体に染み渡る、リズムが整う感じがする。

帰ってからカフェ

帰ってから昼食を食べ、相も変わらずカフェへ。色彩検定の資格の勉強を始めた。この間申し込んで6月に受ける。日本での色の示し方と、国際的な色の示し方が違うことに困惑する。何故どっちも覚えなきゃいけないの…。カラースキーム(配色)のところは面白い。カラーホイール(色相環)やカラースペース(色空間)上での組み合わせとして示されるカラースキーム。カラーホイールは古くはニュートンが研究したが、元々はドリア旋法の音階から取った。ドレミが7音なのと虹の色が7色なのは関係あると聞いたことがあったが、7音だったからニュートンが虹を7色としたとも言われているらしい。こんなことは教科書には書いていない。カラースキームも、色相環の180度離れた2色とか、120度ずつ離れた3色とか、二等辺三角形みたいにした3色とか。これは教科書にある。数字、図形、色、音楽の関係性が深く、とても綺麗で、エレガントってこういう感じだなと思う。

色彩検定は職場とはあまり関係ない分野だ。補助も出ないし、もちろん昇格にも関係ない。単に興味があり勉強している。日本と国際の色の考え方が違って両方覚えなくてはいけないのは不服で面白くないが、カラースキームのところは面白い。別に覚えなくてもいいから、こういうものだって知ることが大事かなと思う。本当はもっと仕事に直接活きそうなことを勉強すべきだと分かってるけど、必須なことを必死で勉強するのがどうも得意じゃなくて…。

『ギリシャ語の時間』再読

この後は本の具体的な話になりますので注意してください。
色彩検定の勉強を計画の倍やれたので、あとは『ギリシャ語の時間』を読んでいた。今日で一冊分読めた。前回も一日で読めた。
ようやく二度目にして分かったことがある。主人公がインド系の聾の恋人に「何でもいいから、僕に話してみてくれない?」と言ったこと。それによって恋人は激怒し、主人公は最終的にぶん殴られ、別れるわけなのだけど、それの理由が一読しただけではわからなかった。主人公は徐々に目が見えなくなる病気だ。なので恋人と一生を共にしたい、一緒にいたいのだけど、いずれ恋人のことも見えなくなる。自分は完全に見えない人になる。コミュニケーションが取れなくなり、言葉が必要になるので、話せるようになってほしいという理由で恋人にお願いしたのである。でも、それはとても自己中心的なお願いだ。コミュニケーションにはいろんな手立てがあるのに、恋人にそれを「投げている」。「君が変わらないといけない。自分は変わらないけど」ということが、滲み出る。主人公にはそうした意図はなかった。ただ、恋人を近くに感じたかった。「失くしたくなかった」。恋人に言ってしまったからこそ、逆に恋人を失うことになった。

振り返って、主人公は元恋人への手紙に記す。

ですから今では私も知っています。万一私たちがほんとうに一緒に暮らしていたら、私の目が見えなくなったあと、あなたの声は必要なかっただろうと。見える世界が徐々に引き潮のように後ずさりして消えていくうちに、私たちの沈黙もまた徐々に完成されていったでしょうから。

『ギリシャ語の時間』ハン・ガン

沈黙もまた、雄弁な言葉なのだ。恋人にはそれが分かっていたのかもしれない。若い主人公にはそれがわからなかった。
かつての私たちは、もっと言葉以外のコミュニケーションを取っていたのかもしれない。表情や視線、身体の動きなど見えるものから発されるものもあるし、言葉以外の音、匂いや、抱擁など触れ合うことも。もう一人の話せない主人公は、「息は言葉に似ている」と考えている。息は、空気の振動であり、空気の温度であり湿気であり、きっと音でもある。外側とつながり、吐き、吸うことで影響し、影響されている。

本に出てくるテーマのひとつ「中動態」については今あとがきに出てきた國分功一郎『中動態の世界 意思と責任の考古学』を読んでいる。これを読んでから考えたいと思っている。

もうひとつ考えたいことがあり、本では直接結論が出ていなかった。主人公と親権を持てなかった子どものことだ。ハンガンさんの答えを知りたくなってしまうけれど、これは想像しかできない。彼女は失ったのだろうか。自分に重ねた。まだ、分からない。結局は、本当に大事なのは実際に起こることではなく、ハンガンさんがいう、「生きていくということに対する、私の最も明るい答え」を私自身が持てるかどうかなのかもしれない。

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