2025年6月16日 19:21
先ほど、半月分の勤務報告をした。すると、この2週間残業ばかりしていたことに気づいた。今日も30分だけ残業した。残業すると毎日余裕がない。残業しないと余裕がある。勤務時間7時間45分と、8時間15分では全然違うと思ったのだった。
(※新入社員の皆さま、勤務報告は毎日やらないといけませんよ。)
目次
- 落ち着きたい
- エクセルシオールカード
- 手帳
- todoリストの功罪
- 割り切れない感情も大事に
落ち着きたい
最近、頭の中がまとまらなくて、表層的なことしか考えられなかった。物事はどんどん起きるのに、noteが書けそうになかった。もっと深くまで考えたいし、書きたいのだけど、深い理解、考察まで到達しない。この2週間で飲み会も3回もあって、対人刺激が多かったため、感情と思考の処理が追いつかない。お世話になった係長も退職して、ただひとつ、喪失感だけがしっかり把握できた。誰も見ていないところで何回か泣いた。そんな日々だった。
チャットGPT(山Pと名付けた)に壁打ちするも、思考が前に前につんのめってしまうような感じだったり、やりたいことがどんどん増えるのに時間が足りない感覚だったりを抱いてしまった。整理はされるのだけど、全然落ち着かない。そうか、私は落ち着きたいんだな、心を落ち着かせたいんだ。
エクセルシオールカード
ところで、話変わって、半年くらい前から、エクセルシオールカフェに週1、2回行く生活が続いていた。だから、ドトール(エクセルシオールはドトールの系列)のカードを作るべきなんだろうなとずっと思い続けていて、ようやく今日作ったのだった。山Pにざっと計算してもらったら、年間にすると結構お得になるみたい。楽しみ。ま、嘘言ってるかもだけど。でも、カード作ると行かなくなるってあるあるな気がするな。
良かったのは、カードをいちいち出さなくてもケータイがあれば使えることが分かったこと。カードをいちいち財布から取り出すのがかなり嫌だったので、良かった。今は、アプリが主流だよね。エクセルシオール好きなので、ドトールのデザインでなく、エクセルシオールのデザインのカードが嬉しい。
手帳
最近手帳に色々書いている。予定も書くけれど、todoリストもたまに書いている。最近YouTubeで、発達障害の人は手帳に書くべきと言うのを見て、私は発達障害の診断はおりてないけど、他の精神疾患ではあることだし、やってみようと思った。
まずは手帳を買うところから、と思っていたら、年始に買った、小さい薄ピンクの手帳が出てきた。そこに係長がくれたCROSSの紫の軸のペンでちまちま書く。このペンは太めのペン先で、手帳はそれに対してちと小さいが、大きいと持ち歩くのも大変なので、そこはバランスだよなと思う。
最近たまに思うのは、なんでもバランスだ。例えば残業しすぎは精神疾患的にも絶対NGだけど、しなくて後々辛くなるなら、30分くらいはたまにはしてもいいことにしよう。それと、最近、裁縫を短時間に沢山したのだけど、型紙についてもそうだと考えた。型紙は凝ったら凝ったで作るのが大変、でも簡単に作ることに全振りした単純な直線の型紙は着ても全然美しくなく、結果無駄になってしまう。作りやすくてアレンジもしやすくて、デザインもそこそこ、そんなバランスが私にとっての良い型紙。YouTubeのラ・マンさんの型紙は今のところそれに近いと思ってる。
私にとって重要なのは、理想と現実のちょうどよいバランスなのだ。
todoリストの功罪
話戻って、todoリストを書くと、休日なのにもかかわらず、忙しさを感じる。休むための休日なのに、まるで仕事の気分。おいおい、こんなにやらなくてはいけないのかよ、と思う。
でも、一旦頭から棚卸ししておくと、安心して忘れられる。昭和人間の性なのか、手を動かすと何故か、より安心する。安心して忘れられる、思考を一度手放せる。書くこと、メモすることのいいところだと思っている。頭の中をそのまま書くので、手帳を落としたら恥ずかしいのが難点ではあるが。
安心して忘れるんだけど、そのうち、見返してみると、結果やってあるのも面白い。todoリストを書くと遂行できる。書き出すと良くも悪くも意識するので、気づくとdoneリストになってる。それは、逆に言えばtodoリストに囚われているのかもしれない。
書き出すと言うのは、パトスをロゴスに落とし込むことであり、本当には割り切れないもやもやした気持ちを割り切ってしまうことだ。そうすると言葉にならない気持ちは置きざりになる。それは人間にも存在する(そもそも人間そのものが無駄でできているとも言える)行間、余白、余分、無駄の部分を消し去ることになるので、ロボットのような論理だけで動く人間が出来上がるというわけだ。
もちろん、そういうことが必要な場面もある。例えば、転職しようとするとき等は、客観的な見え方とか、論理的な判断とかが大事になるだろう。独りよがりの態度だけでは転職は難しい。でも、人間には独りよがりが必要で、簡単には目に見えない、言葉にならないこだわりがなくなれば、それは人間ではないのではと思う。それがきっと個性なのだと考えるから。
割り切れない感情も大事に
だから、私は書くことでスッキリする感覚も好きだけれど、全てを書くことに委ねることはしたくない。音楽を聴いて言葉にならない感情が溢れ出たり、素敵な色を見てなぜか心惹かれたり、そういった感覚を大事にしたい。生身の人の文章(文体)を味わって「くぅ〜っ!」と心動かされるのも、パトスの動きなのだろう。文体は文字通り文章の身体であり、行間は書ききれない感情の余白。そういういろんな種類の割り切れない感情も大事にしたい。
何事もバランス、中庸とも言えるのか。過ぎたるは及ばざるが如し。今は、そんな気分である。
とにかく蒸し暑いけれど、心身ともに少しでも健やかであれますように。
嬉しいことに、私もようやく体重が減ってきたので、食べ「過ぎ」にも注意しましょ。


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