人間的なものの価値

Diary

2025年8月2日 18:40

noteでタイトルバックを選ぶとき、AIで描いた絵がとても増えて、手で紙に描いたものは相対的にとても減った。手でデジタルに描いたものすらもレアだ。手描きのレア度が上がり、芸術性も相対的に上がった。手紙もそうだ。手で書いた字は珍しいし、「気」のようなものが込められているようで、字のクセまで含め、魅力がある。内容も、誤字脱字、誤用、論理性のなさ、矛盾、脱線、飛躍など、間違いや人間らしさこそに希少性と価値がある。

もしそのような人間の手作業を使ったものをもらったら、多かれ少なかれ、ありがたく思うだろう。不思議なものだ。AIの登場が、人間の温かさや、かけた時間のようなものの価値を上げたようで。

仮に、時間はかけたらかけただけ、良いと思ってみる。寿命がある人間にとって時間は有限だから、時間は貴重なものだ。ゆっくりやったら、それだけ時間を使っている。もし、早くやっても、その間にその人は死に近づいている。そう思うと、遅くても早くても本質的には一緒なのかもしれない。

人が会いに来てくれるというのは、手紙をくれるというのは、手作りのものをくれるというのは、ありがたいことだ。

作ったものをくれるというのは、農作物もそうだ。祖母は自分が育てたジャガイモを家族皆に分けてくれた。東京で一人暮らししていた時も送ってくれた。故郷の土の匂いのついたジャガイモ。故郷の水で作られたそれは、東京では特においしかった。思えば、私はそのとき、祖母の時間を食べていたのだった。

祖母の農作業にかかる時間には、時給は発生しなかったが、いわゆる社会での仕事には時給が発生する。それは、合理的で、意外にも優しいことのように思う。家庭の中の仕事には時給は基本的に発生しない。やればやるだけ時間的にも、経済的にも、損をする残酷な仕組みになっている。私は時間を元夫に食べられていた。もちろん、私も元夫の時間を食べていた。量の違いだけで。

祖母はジャガイモを皆に食べさせて幸せだったのかは知らないが、きっとそこには歓びがあったと思いたい。家族を喜ばせるという幸せが。かくいう私は、そういう感覚を元夫には持てなくなった。だんだんと。それは、元夫が感謝を示してくれなかったからだったのか、本当に感謝をしない、価値をわからない人だったからなのか、わからないけれど。

家族であっても、時間を食われる。私はどんどん年を取っていくのに、その時間を元夫に食べられていた。つまり、時間を奪われていた。一般的に家族の間にはそういう力関係がある。どちらがどちらに多く時間を提供しているか。そういう関係性になりがちで、それは人が人と過ごす場合には、避けられないように思う。

それなら、家庭の仕事も、外の仕事のようにお金をもらえればいいのか。もらえないよりはいいだろうけれど、その時の自分の時間は、お金と違って取り戻せない。原則として時間は取り返せない。そう考えると時間というのはかなり貴重なもので、時間を何に使うのかはよく考えなくてはいけない。なのだけど、社会的な同調圧力というのが存在する。例えば私の住む社会の中では、女性なら家族に使うべきとされたり、男性だったら仕事に使ったりすべきだとされがちだ。時間は、貴重であり、取り返しがつかない一方で、社会的な常識の中で簡単に奪われてしまう。お金とは質の違うものだ。

時間は、本質的には自由に使えるものだ。そして、かけがえのないものであるから、大切にしなくてはいけない。私は創造的に生きたいと思っている。だから、時間を奪われるわけにはいかない。時間を奪いたくもない。でも、同調圧力も強く、時間を自由に使うのは難しいから、気をつけて、大切な人のために大切に使う。そして、大切な人の中には、自分も含まれる。水を出しっぱなしにしないように、時間も流しっぱなしにしない。

かといって、カツカツに使うのは貧乏くさいと思う自分もいる。「無為に」過ごす時間も大切にしたい。時間をできるだけ良く使えるように、今一度考えてみようと思う。

時間はかけたらかけただけいいか。かける対象が大切なものなら、そうだ。かける対象がそうでなければ、そうではない。時間をかける対象は、人生で大切にしたいものはなにかを分かれば、自ずと選べるはずだ。人生で大切にしたいものが分かるようになるには、時間や経験を重ねて分かっていくのかもしれない。だからこそ、やはり時間は大事であり、手紙をくれたり、手をかけて作ったものをくれる友人は、そして、いつもお茶をしてくれる人は大切なのだ。大切な人のために大切な時間を使うことが、その人をもっと大切な人にする。その時間を介した無限ループが幸せであるように。また、一方が時間を犠牲にするだけの無限ループは、なるだけ早く断ち切られるよう、神様がいるなら願ってみたいと思った。

人間の感じる価値は、どれだけ時間をかけたかと言えるのかもしれない。「気」「エネルギー」という概念があるならば、そちらも関係あるはずだけど、「気」「エネルギー」については私はよくよく考えたことがないから、今後の宿題にしたいと思う。
そのうち「コスパ」「タイパ」に続いて「エネパ」という概念が出てきたら面白いね。

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