「親然」としてくる友人たち

心理面接記録

2025年8月4日 12:45

抹茶のテリーヌをずっと食べたいと思っていて、この間ランチタイムに大急ぎでお茶屋さん併設のカフェに行き、実現。丁寧な幸せの味だった。また、食べたい。

今日は心理だった。最初は最近早く寝て、寝入るのも早く、眠剤をあまり使ってないこと。早く起きた朝は早く出て、カフェでお茶をしていること。母と一緒だったときは、決まった朝のスケジュールに従っていたので、そういう朝のゆったり時間を取れなかったから、いい感じだと話した。

その後赤ちゃんを産んでお母さんになった友人の話、仕事の話、母の話、自分の子どもの話。自分の成育歴の話。
女性は子どもができると、嫌が応にも家族や地域を頼らざるを得ず、家族の一員としてのまたは地域の一員としての生き方にどんどんなっていき、個としての個性が消えていくようだ。役割が大きく変わっていく。私はそれが怖かったし、嫌だった。女性の中にはそれが当たり前の人もいて、それが楽だと言う感覚も理解はできるけど、私はきつかった。友人は軽くやっているように見える。難なくこなしている人は居る。そうでない人もいるけれど。

私にとっては子育てはデリケートな話題であり、母との関係、自分の成育歴などを考えて、どうしても深く考えざるを得ない。カジュアルにはどうしても捉えられない。友人はとても気楽にやっているように見え、義父母との関係もよく、実家との関係もよく見える。少しマザコン気質というか、実家からの独立心が低い気もするが。でもそれくらいで良いのかも知れず、私には兎にも角にもできなかったことだから、とても悔しいし悲しく、激しく心に反応が出てきてしまう。
友人の赤ちゃんは可愛いが、複雑な気持ちで捉えている。私がこうなったようにならないようにしてほしいと声を出していいたくなるほど。言わないけれど、いつもそれを考えている。でもそれは、「こう育てたらこうなる」という思い込みにとらわれていることでもあると心理士からは言われる。それは、早く保育園に預ければ人見知りしないとか、そういう考えと根本的には同じだ。

確かにそう。私がこうなったのは非常に早く保育園に預けられたからというだけではなく、私の性格や、母の私への関わりからも影響がある。他の家族からの影響もある。だから、あまりその感覚に囚われないほうが良いと言われる。頭では分かるが、難しい。

私は自分が女性として、人生において社会での役割をどんどん変えていくことが辛いだけでなく、周りの女性がそうであることに振り回される感覚が嫌なのだと気づく。周りの変化が苦手なのだ。子どもができた友人で、感覚があまり変わらなかった人とは、これからも仲良くできそうだけれど、どんどん「親然」としてくる友人には、耐えられないという感覚を持つ。

子育てや、それに繋がる自分の成育歴などの話、女性の人生における役割の変化の大きさなど、複雑でデリケートな話題で辛かったけれど、涙が出たので視野がクリアになり、感情が溢れたことでスッキリしたように思う。良かった。

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