大事な人からは嫌われたくなんかない。

Diary

2025年8月14日 20:13

連休10日のうち7日目。だいぶ来たなあ。
あと3日間は出掛ける予定があり、休む暇はあまりない。少しでも楽しめるように、体力的、気力的に乗り切れるように。

今日の記事は、なにが言いたいかあまり伝わらないかもしれない。
もし最後までお付き合いくださる奇特な方がいれば、あらかじめありがとうと伝えたい。
私はといえば、この記事を書いてモヤモヤがほんの少しだけ晴れました。

目次

  1. 7日間の出来事
  2. プチ旅行

7日間の出来事

1日目〜3日目は裁縫をしていた。天気悪めだったな。
スカート、ブラウス、ポーチなどたくさん作り上げて幸せだった。
布地屋にほぼ毎日通ったわ。

4日目(11日)はいつも使っているポーチのファスナーが壊れていたので直して、あとは本棚を少々片付けて、スッキリ。ずっとできなかったことができ、小さいけれどチリツモのストレスが解消された。
夜は高校の同級生同士三人で飲んだ。そのうち一人と、二日後旅行にいくことで一応合意。

5日目(12日)は裁縫していた。この日も天気悪かったな。もけもけ生地のスカートができた。丸一日かかった。

6日目(13日)は飲みに行った高校の同級生の一人と、約束通り近くへプチ旅行。
3箇所を公共交通機関で巡った。前日までだいぶ雨が降ったので、少し涼しくなっていた。雨には降られなかった。運が良かった。
友人は普段は東京にいて、今お盆休みで実家へ帰って来ている。
友人はドラクエウォーク、私はピクミンブルーム(※両方歩く系のスマホのゲーム)をやっているので、二人ともそれをしながら回った。
私は珍しめの「山」「テーマパーク」「美術館」のピクミンの苗を手に入れられて良かった。

7日目の今日は、祖母宅へ行った。祖父母に会って来た。祖母は今腰痛だという。コルセットをしていた。心配。
祖母に裏地付きスカートの手順でわからなかったところを聞き、よく分かるようになった。
そして祖母の昔買った生地をまずは二つもらって来た。他にもあったが、もう少し祖母宅で寝かせることに。秋になったらまた来ようと思う。
スカートの生地は、スカートの丈分買えば良いというメモをしておこう。
それから、祖母のお古のアクセサリーも複数もらって来た。
なんでも、叔母が祖母に、私にあげるようにと言ってくれたようで。
小さい時からずっと世話になりっぱなしの祖父母との時間は楽しく、良い時間だった。

プチ旅行

友人とのプチ旅行、本当に色々な話をした。ふう、疲れたな・・・。
高校の同級生はよくも悪くもマイペース。
私はけっこう人に合わせると言われるが、ずっと合わせていると爆発するので、根はマイペースなのだと思う。
マイペース同士、20年以上付かず離れずなんとなくやっていて、不思議だなと思う。ぴったりくっついているわけではないから、お互いよくわからない部分が残されているのがいいのかもしれない。
ペースについては、私の方がより合わせている気がするけど、向こうも実は合わせてくれている気もする。

人間同士の「あわい」「関係性」のようなもののことが掴み切れなくて、考えるのが苦手で、よくわからなくて、決められない。自分の思い込みのように感じる。例えば、その人と私が仲が良いのか、分からない。
私の人間関係は割と相手に主導権があるからかもしれない。
自分がその人を嫌いとか、苦手とかはわかるんだけれど・・・。

中学生のころの友人とも今も繋がっている、友人と比べ、私は完全に切れてしまい、故郷には全然帰っていない。
私は中学の時の友達のことも、高校の友達のことも、概ねそんなに好きでない。ただ、学校に毎日通わなくてはいけなかったから、必要上、仲良くしていただけだと考えている。
自分が人のことを好きなのかどうか、よくわからないから、好意を向けられてもびっくりしてしまう。「こんなに仲が良いと思ってくれていたんだ」と。
皆が多かれ少なかれそうなのか、私だけなのが分からない。根本的に人間関係が受け身だということ。

これらのことを、友人に話してみたかったけど、話さなかったし、これからも話さないだろうと思う。

こういう話はタブーのように感じている。
そしてこの話は、大袈裟だし、大まかな話だ。厳密には正しくない。
私には結構長く仲の良い友人が複数いる。このことは、全員が全員、学校を卒業すると切れてしまうわけではないことを証明している。
他多数の関係が切れてしまった友人たちは、きっと本当には好きではなかったというだけで。

私はもう結婚もしない予定だし、過去に悲しいことは十分にあったから、これから人から嫌われても、どう思われても、なんともない。
もし人から嫌われても、過去の悲しいことを超える悲しみは得ないと思っている。
人間として、少し変でも、人としてなってなくても、なんとか暮らしていけてるんだから、別に良くて、それ以上のことはないと思っている。
もし好かれたり、評価されたりしても、それは基本要素に対する追加要素でしかない。もう自分の好きにするのだ、これからは。

こういう本当に社会不適合であることがバレてしまうような話題を友人に言わないのは、私のイメージを守るための小さな「かっこつけ」なのかもしれないし、友人を困らせないための気遣いなのかもしれない。
多分、結局、私はこの友人には嫌われたくないのだろう。ああ、さっそく前言撤回である。
正確に言うと、だれからも嫌われてよいわけではない。
大事な人からは嫌われたくなんかない。

今度、またプチ旅行にいくことになったので、タイミングがあったら、もう少しだけ、深い話をしたいかも。
でも、きっとしないだろう、気楽な友達として、また水族館の変な英語表記をみて笑ったり(友人は笑いすぎてお腹を痛めていた)そんな過ごし方になるんだろう。それでいいや。

結局のところ、この友人が、そして長いこと私と付き合ってくれている友人たちのことが、好きで、嫌われたくなくて、大事なのだろう。
もっと大切にしていないとな。だって彼女らは、私にとってかけがえのない、稀有な存在なのだから。

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