2025年10月13日 08:30
※今年2024年8月の下書き供養。それから、2度加筆しています。
目次
- 2024年8月
- 2024年12月加筆
- 2025年10月加筆
2024年8月
仕事を用事で半休。最近はあまりやることがないから、休むこと自体は大きく影響ないけど、「あまりやることがない」って、それはそれでどうなんだ!?とかぐちゃぐちゃ考えていた。あと今任されている業務が嫌いである。やった事ないことだから先が見えないし、不安で、月曜日が来るのが嫌だ。あと昨日はシンプルなチェックミスで社内に対してではあるが影響が大きい案件が発覚して、自分はチェック作業は結構得意のつもりだったので自信がなくなった。そんなことがあり最近は仕事が億劫である。
ところで、私は人間関係が苦手である。人の気持ちを汲み取って会話ができてるか自信がないから、苦手意識が払拭されない。それどころか苦手意識は年を取るごとにどんどん雪だるま式に膨れ上がっている感がある。相手に合わせすぎるから、疲れてしまうのだと思う。前に職場の人にそう言われた。「相手に合わせてるからストレスが溜まっているでしょう?」と。鋭い人。
来月、結構長い付き合いの友達が県外から泊まりに来てくれるんだけど、やけに緊張している。車も運転できないから、色々なところに連れて行ってあげることもできない。どうしてあげたらいいのか分からない。夜は夜できっと友人が近くで寝てるとよく眠れないだろう。そして夜は長い。そんなに話すことがあるんだろうかと。泊まりに来てくれることは嬉しいけど、楽しんでもらえるか不安でしょうがない。なんか、歳を重ねる毎にどんどん人間関係に苦手意識が募って、にっちもさっちもいかなくなって来ている感がある。
東京は、行ったら泊めてくれそうな友達はいるけど、泊まりに行って一日中積もり積もった話をするのかと思ったら、想像するだけで疲れてしまう。なので結局、東京に行かないままになって数年経ってしまった。人と喋らないと、どんどん「お喋り筋」が弱っていくような気がする。4年前子供がいた時まではそんなことなかったように思う。何を話していたか分からないけど、いっぱい話していた。やりたいこともいっぱいあって、子供に洋服作ったりも沢山した。お気に入りの旅行先もあった。元気だったな。
結局今私はどうしたいんだろう。それがないから、人に流されて、人の意見に合わせ、人のやりたいことに合わせすぎてるんだと思う。かと言って自分の人生は、山あり谷ありで特殊なのと、秘密も多いので、大いに自己開示することもできない。社会経験が少なく、友人も少ないから、常識もないと思っている。そして何より人と話さないことでどんどん常識がなくなっていってる気がしてめちゃめちゃ怖い。結局どうしたらいいのか分からなくなった。
2024年12月加筆
県外から来てくれた古い友人とは、楽しく過ごせた。8月の心配は杞憂に終わったというわけだ。よかった。夜はすぐ、ぐっすり眠れた。お互い、寝ないとだめな人だからよかったのかも。
人間関係は、今も難しい。
心理士からは、そんなに人と話す時に考えすぎなくて良いと言われている。
曰く、「皆あまり何も考えてないですよ」。
“コミュ障”という感じもしないですよと言ってくれた。
私は考えすぎなのだ。正しく答えられているか、話題は適切か、リアクションはズレてないか、失礼じゃないか、気分を害さないか、空気読めてるか、エトセトラ、エトセトラ。
考えすぎて悪い想像をしてる。それは癖みたいなもので、なかなか直せないのだ。
そうは言っても、またぼちぼち人間界に戻っていかねばなあ。げげげのげ。
2025年10月加筆
この秋に、東京方面にようやく、数年ぶりに、友人2人を訪ねて行くことになった。この記事の頃よりは、人間関係に前向きになったと思われる。今夏は友人と旅行を2度もした。また、このころより自己理解が深まった。私が一番苦手なシチュエーションは、「大して親しくない人と、当たり障りのない会話をする」。これが一番苦手で、嫌いで、面白くない。たぶん、本音で話したいタイプなのだろう。本音で話して、面白いと思えるタイプ。はぐらかしはぐらかしの、本音を隠した面白い会話もある気もするけれど。手練れはそういうこともできるかも?私には難しい。
基本は、本音を話して仲良くなりたい、会話を楽しみたい。だから、自分は秘密が多いので、自己開示できない相手には、いつまでも申し訳ないし、深く仲良くなれない気がする。どこまでいっても、付き合いのための付き合い。
一方、何でも知っている人、つまり特に親しい人には、本音で楽しく話せるのかなと思う。書いてみたら当たり前だけれども。大したこと書けなくてゴメンナサイ(笑)。


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