疲れる1週間だった。そして、今日も忙しい。母が木曜だけこちらにおらず、木曜夜・金曜朝だけは一人で気楽に過ごせた。金曜夜から母が再登場。本日土曜日は父が●●市から私の住む□□市へ来て、クリスマスの食事会をする。いつもは木曜日から日曜日を実家の●●市で過ごす母。今週はほとんど□□市の私のうちにいる。実は先週もそうだった。
まあ、母が実家に少ししか帰らなかったのは理由があったのでしかたないのだけれど、そうすると、私としては一人の時間が足りず、心底疲れる。そして、私は母がいると「創造性」が低下する。疲れるからか、気が散って集中力が落ちるのか、創造する時は感情の起伏が恐らくできるので、それを母の前で出すことができないのか。つまり、私は習慣として、母の前で泣いたり、怒ったりしない。泣いても、怒っても理解されないことが経験的に分かっているからだろう。何か作ろうという気が起きるのは、いつも一人の時だ。今、母がいる部屋でこれを書いているのは、書かないとやってられない、ピンチだからかもしれない。
母はASDの傾向があり(診断はされていないが)他人の気持ちが分からず、受け止めることをしない。一方、本人は怒りや苛立ちを出したり、感情的に振る舞う。母に対しては昔からずっと葛藤がある。性格が全く違う。私は人の気持ちが分かり、感情は出さない方だ(特に母の前では)。もっと人間的に基本的なもの、例えば食の好みも違う。母は超薄味を好むが、私は濃い味が好きなわけではないが、普通程度に味つけられたものが好き。私の食の好みは祖母からのものではないかと思う。それから、外国の料理への興味など、後から身につけたもの。
母のことは好きではあると思うが、愛着がない。私は生後2ヶ月から保育園に預けられて、公立の保育園・学校と、父方の祖母に育てられた。母とは毎日、夕方から夜、朝にかけてだけ出会う。土日は父がよく遊んでくれたように思う。母は家では家事に忙しいので、遊んでくれたりはしなかったはずだ。そういった記憶はない。そういう生い立ちであるので、自分ではこの愛着のなさは自然なことだと思う。「母に愛着がない」と大学時代、友人に打ち明けたら、絶対にそんなはずはないと、理解してもらえなかった。私たちの世代の母親は専業主婦が多かったから、子供との時間も多かったことだろう。だから、私のようなケースはレアなのだろう。最近の子供は、母親が働いていて、早くから保育園に預けられるのが多いから、もうこれからは私たちのような母子の関係は珍しくなくなるだろう。
だから、離れて暮らす私の子供は、私に愛着があるはずだと皆が言うが、私自身が一番わからない。別に私なんか子供にとってはどちらでも良いのではないかと思う。私が母に抱く愛着の薄さと同じように考えてしまうのだ。私の病気に母との関係性の薄さが関連しているのかは、わからない。きっと直接的でなくても、どこかで関連していると思う。そして、もう、いまさら、仕方のないことだと思う。



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