昨日は飲み会だった。Nさんの送別会だった。開始時間の7時まで、私のチームのMさんと二人でカフェで時間を潰した。飲み会には課長も来た。課長は本当に静かにしていたので、穏やかな人だと分かった。しかし、飲んで幸せそうに酔っていた。
Nさんはたくさん喋っていて、喋るのが好きな人なのだと改めて思った。メンバーが妙だったので、どうなるかと心配していたが、飲み会はまあまあ楽しかった。私としてはMさんと二人きりの1時間半のカフェ時間がより笑えて楽しかったけれども、飲み会もわりあいに盛り上がったし、私も盛り上げたし、と言う感じで、まあまあ良いものだったと思う。
今までで一番楽しかった飲み会は、前職のとき、同僚たちと飲みに行った飲み会。Iさんが終始楽しませてくれて、こんなに幸せな時間があるのかと驚いた。あとにも先にもあんなに愉快な飲み会はなかった。コロナ前だったから、7年前から8年前か。Iさんは聞き上手であり、褒め上手であり、その上で話上手だった。どんな話題でも自在にできたし、気持ちよくキャッチボールできるだけでなく、話がどちらに転ぶかわからない即興性があり、しかも話を重ねていくと伏線回収のようなことが起こった。テーマの反復、重なり、話題の飛び方、全てが面白い。奇跡のような会話だったのだ。相性も良かった。巷のことから、学問的なことまで、お互いの興味がかぶっていた。というか、向こうの興味の範囲が特に広く、どんな精度のどんな方向への球も受け取ってくれるキャッチャーだった。その方とはもう連絡をほとんど取っていない。メールを送れば返してくれるとは思うが、迷惑だろうと思い遠慮している。同僚として仲良くしていたが、その関係を私の病気がめちゃくちゃにしてしまった。でも、その関係性は時間が短かったからこそ、より輝いて見えるような気がする。
いつも書くように、飲み会は別に好きではないが、「大勢でなければなんとかなる」ものなのかもしれない。今回の飲み会は6人だったので、あっちのグループが盛り下がっているとか、あの人がひとりだとか、考えなくて良かった。器が小さい割に、全体の雰囲気に責任を感じてしまうタイプなのだ。その点で6人は大丈夫な範囲に収まっていた。
それから、私は「人に興味がある」のだと気づいた。人を見る目はあまりなく、人の気持ちも分からない。でも、人への興味はあり、相手の話を聞いているとついつい質問が浮かんできて、さらに質問をしてしまうタイプだ。それで話が長続きするほう。それが好きな人かどうかはあまり関係なく、人間全般に興味があるように思う。それで、嫌いな人に対してサービスしすぎたと、あとからで後悔することも多い。これについてもまた書こう。
また、その場の雰囲気に合わせて楽しんだり楽しませたりはできる。また、「役割に合った適切な態度が取れる」と心理士からは言われた。それから、「会話において、その場で楽しんだり、楽しませたりしていると思いますよ」と言った。ただ、「あとから疲れがくるタイプ」名付けて「疲労蓄積型」と言われている。
会話はお互いへのサービス精神でなりたっているもの。サービスの応酬である。その裏には「相手に興味がある」という前提がある。だから、人間に興味のある私には会話が向いているのかも知れない。それがこちらからの一方通行のサービスでは、つまらないし、欲求が満たされない。そう言う人もたくさんいる。そういう面でもIさんとの過去の会話は理想のものだった。
ところで、最近Rさんという同僚が仕事中に「絡んでくる」ことや、昼を一緒に食べたがるところに疲れていた。なぜかと言うと、最近Rさんと特に頻度高くランチに行っていたから、私が単純に疲れていた。昼休みは私の疲労回復時間なので、連日のランチでヘトヘトで、相手をする余裕がなかった。Rさんには申し訳なかった。でも本当に、忙しい仕事中の絡みが嫌だったのだ。私ばかりが悪いわけではない。相手への距離感を間違えると、今まで親しかったとしても、おかしくなってしまう。それから頻度。私は距離感と頻度を調整することで、親しい人とは親しいまま、ある程度続けていけるし、人間への興味を活かして人間関係を楽しんでいける。今後の人間関係への指針を、今回の飲み会で持つことができ、良かった。

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